心のヌードが見たい。
2001年3月8日昨日はまったくもって疲れた。いろんな事情で人が少なくて、たった3人の看護婦でオペをしてその前後を整えるというのは、ほんとに大変だった。
3件のオペのうちの一件が、あの院長の知り合いのお偉いさんだった。
院長をはじめ、麻酔科の先生までもがぴりぴりしているのが感じられた。
ヘルニアのオペだったので、腰椎麻酔をすることになった。
腰から麻酔薬を注射するために、
”はい、では、私のほうを向いて横向きになってください。”と言うと彼は何故だか微動だにしない。
もう1度同じことを言った。
”狭いベッドですけど私のほうを向いて横になってください。大丈夫です。支えていますから。”
しばらく沈黙したあと、彼が言った言葉。
”私がかね?”
他にだりがいるんじゃいっ!
彼なりに精一杯威厳をこめて言ったんだろう。
おまえは俺に命令をするのか、俺に動けと言うのか、と言うニュアンスが感じ取れる語調だった。
”そうです。”と私は言った。
おろおろしたドクターが、”じゃ、僕が動かしましょうか?お手伝いしましょう。”と言うと、彼はすんなり私の方を向いて横になった。
まったく・・・。できんじゃねーーか、はじめからやれよ。いちいち威張るなっちゅうの。
そう思いつつも私は横向きになった彼の身体を両手で支えて麻酔に備えたのだが、何と麻酔の注射をする直前に、私の腰に両手で抱きついて来たのだ。
なんだあーー?今度はセクハラかあ?どんなにあんたが偉い人でも絶対許さないぞ、と彼の顏をきっと見た。
そして、はっとした。額に汗をにじませ恐怖に奮えていた彼の顏を見て。
彼は今まで腰椎麻酔をしたどの患者さんよりも不安な表情をしていた。それは支えている私の角度からしか見えない。
私はぎゅっと彼を支えた。手もしっかり握った。
”大丈夫ですよ。すぐに終わります。今、消毒をするので少し冷たいです。はい、これから針を刺します。そうです。じっとしていてください。はい、今薬を注入しています。終わりました、針を抜きます。おしまいです。お疲れさまでした。”
腰椎麻酔が終わってあお向けになる。みんなに顏が見える態勢になった途端に、彼は元通り口をへの字にして、あの威張った表情になった。
それからオペが終わって
病室で、痛みの有無を聞きに行ったときに、
”まだ痛くはないぞ。ご苦労。下がってよし。”と彼は言った。
おまえなあ・・・・。ご苦労とか、下がってよしってなあ・・・。
と思ったが、一礼して部屋を出て行こうとしたときに、
”助かったよ。”という彼の声に振り返ってしまった。
”怖いのが薄らいだ。礼を言う。またどっか悪くなったら、この病院を使ってやってもいいと思った。そのときも今日みたいにしてくれ。”
はい、もちろんですよ。私たちは、いつどんな患者さんのときでも襟を正して真剣にやっていますから。
と、また部屋を出ようとすると
”待ちなさい。”と言われる。何だよ。(−−;)
”名前を言いたまえ。”
今はオペ着だから名札をつけていないが、オペのオリエンテーションのときにも名乗ったし、部屋を案内するときも名乗ったろうが。
私たち看護婦にとって、名前を聞かれることは、時々恐怖でもあると同僚は言う。あとから名指しでクレイムを付けられるからだ。
それを知っていて、わざと脅しで使うお偉い患者さんも少なくはない。
私は、彼の物真似をして、
”私のかね?えっへん。”と言った。
私は人の特徴を短時間に捉えての物真似が得意である。(笑)
あっけにとられた後、彼は大笑いした。
調子に乗って、”○○かおると言うんだよ。覚えておきたまえ。”と続けた。
笑うと痛いらしい。
”いててて!わかった。覚えておくよ。わはははは!”
そして、驚いたことに、彼は、自分の名前を名乗った。
”俺は。。。いや、私は○○○○と言う。よろしくお願いします。”と。
名前知らないでオペするわけないじゃん、とおかしかったが、
”改めてよろしくお願いします。m(__)m ”と私も言った。
よろいを脱いだような人間の笑顔が私は大好き。この先、うまくやっていけそうな気がした。
3件のオペのうちの一件が、あの院長の知り合いのお偉いさんだった。
院長をはじめ、麻酔科の先生までもがぴりぴりしているのが感じられた。
ヘルニアのオペだったので、腰椎麻酔をすることになった。
腰から麻酔薬を注射するために、
”はい、では、私のほうを向いて横向きになってください。”と言うと彼は何故だか微動だにしない。
もう1度同じことを言った。
”狭いベッドですけど私のほうを向いて横になってください。大丈夫です。支えていますから。”
しばらく沈黙したあと、彼が言った言葉。
”私がかね?”
他にだりがいるんじゃいっ!
彼なりに精一杯威厳をこめて言ったんだろう。
おまえは俺に命令をするのか、俺に動けと言うのか、と言うニュアンスが感じ取れる語調だった。
”そうです。”と私は言った。
おろおろしたドクターが、”じゃ、僕が動かしましょうか?お手伝いしましょう。”と言うと、彼はすんなり私の方を向いて横になった。
まったく・・・。できんじゃねーーか、はじめからやれよ。いちいち威張るなっちゅうの。
そう思いつつも私は横向きになった彼の身体を両手で支えて麻酔に備えたのだが、何と麻酔の注射をする直前に、私の腰に両手で抱きついて来たのだ。
なんだあーー?今度はセクハラかあ?どんなにあんたが偉い人でも絶対許さないぞ、と彼の顏をきっと見た。
そして、はっとした。額に汗をにじませ恐怖に奮えていた彼の顏を見て。
彼は今まで腰椎麻酔をしたどの患者さんよりも不安な表情をしていた。それは支えている私の角度からしか見えない。
私はぎゅっと彼を支えた。手もしっかり握った。
”大丈夫ですよ。すぐに終わります。今、消毒をするので少し冷たいです。はい、これから針を刺します。そうです。じっとしていてください。はい、今薬を注入しています。終わりました、針を抜きます。おしまいです。お疲れさまでした。”
腰椎麻酔が終わってあお向けになる。みんなに顏が見える態勢になった途端に、彼は元通り口をへの字にして、あの威張った表情になった。
それからオペが終わって
病室で、痛みの有無を聞きに行ったときに、
”まだ痛くはないぞ。ご苦労。下がってよし。”と彼は言った。
おまえなあ・・・・。ご苦労とか、下がってよしってなあ・・・。
と思ったが、一礼して部屋を出て行こうとしたときに、
”助かったよ。”という彼の声に振り返ってしまった。
”怖いのが薄らいだ。礼を言う。またどっか悪くなったら、この病院を使ってやってもいいと思った。そのときも今日みたいにしてくれ。”
はい、もちろんですよ。私たちは、いつどんな患者さんのときでも襟を正して真剣にやっていますから。
と、また部屋を出ようとすると
”待ちなさい。”と言われる。何だよ。(−−;)
”名前を言いたまえ。”
今はオペ着だから名札をつけていないが、オペのオリエンテーションのときにも名乗ったし、部屋を案内するときも名乗ったろうが。
私たち看護婦にとって、名前を聞かれることは、時々恐怖でもあると同僚は言う。あとから名指しでクレイムを付けられるからだ。
それを知っていて、わざと脅しで使うお偉い患者さんも少なくはない。
私は、彼の物真似をして、
”私のかね?えっへん。”と言った。
私は人の特徴を短時間に捉えての物真似が得意である。(笑)
あっけにとられた後、彼は大笑いした。
調子に乗って、”○○かおると言うんだよ。覚えておきたまえ。”と続けた。
笑うと痛いらしい。
”いててて!わかった。覚えておくよ。わはははは!”
そして、驚いたことに、彼は、自分の名前を名乗った。
”俺は。。。いや、私は○○○○と言う。よろしくお願いします。”と。
名前知らないでオペするわけないじゃん、とおかしかったが、
”改めてよろしくお願いします。m(__)m ”と私も言った。
よろいを脱いだような人間の笑顔が私は大好き。この先、うまくやっていけそうな気がした。
パニック発作 の人へ。/ 急がないレース。
2001年3月3日誰でもかかってしまう可能性がある病気の中にパニック発作というものがある。
ただ単に仕事などに追われてパニックになるのとはまったく違い、このパニック発作は一生のうち、100人に5人くらいの割合で経験すると言う。例えば、育児に追われた日々を送る母親、夜勤明けで申し送りをしなければならないナース、また、オペの直接介助を任せられたナースなどが突然息苦しくなったり動機がしたり声が出なくなったり強い不安が襲って来る。もう、それは死んでしまうのではないかと思うどの恐怖と共に。
もちろん、人それぞれで、日常ちょっとしたことで起こすケースも多い。ただ、はっきりしていることは、いずれも、その人の心に耐えがたい負荷がかかっているときに起こるということ。
私の友人も上記の症状と共に、手足のしびれが出現して立っていられないほどの発作を繰り返した。
このしびれは、発作を起こしたときにあせって呼吸が荒くなり、酸素をいっぱい吸ってしまうということが原因でもある。血液中の酸素が増えすぎると”過喚気”と呼ばれる苦しい症状になってしまうわけだ。
酸素は普段人の体に必要なものなので、ピンチに立たされたときほど、人はたくさん吸い込んで力を付けようとするのかも知れない。
いつも思うのだが、要するにこの手の発作を起こす人というのは、
”この状況を何とかしよう。”と思っている人なのだった。
つまりは
”生きよう、生きよう。”としているわけだ。
心に何の負荷もかからない怠惰な生活をしている人はたくさんいるというのに。それも個人の自由ではあるけど、そんな人たちに限って精神的に疾患を持っている人たちのことを偏見で満ちたまなざしで見る。
昔の私もそうだったかも知れない。
一方で、いつもまじめで、てんぱっている人。パニック発作を起こすような方々に限って、日常をうまく楽に過せない自分を恥じたりもする。責めて、責めて、責めまくる。
それは間違っている。
あなたはとてもがんばっている。だからたまには力を抜いて休憩していいんです。本気でギブアップしていいんですよ。
そう言いたい。
余談ですが、私は若かりしころ、時々仲間と集まってバイクのレースをした。たった400メートルを競い合うというレースだったが、ひどく負けず嫌いで、2位になるくらいなら1位の人のバイクの後ろにでも突っ込んで大破してもいいくらいに思っていた。
でも、それを話すと友人は笑ってた。
馬鹿だね。レースは次もあるのに。と。
あ、そうだ。私は多分レースよりも、時々こうやってみんなで集まって騒ぐのが楽しかったのだし、早く走りたいのも、もしかしたら好きな仲間に認められたいだけだったのかも知れないと、そのとき思った。
楽しまなければ意味がない。
急ぐ必要はない。
先に到着した仲間を賞賛しながら飲むビールもおいしかった。
人生はそんな夢のように楽しいレースのようなものかも知れない。
話しがうまくまとめられませんが、どうか、自分を責めないで。
あなたは素晴らしいガッツを持っている。だから、休むという勇気ももって欲しいのです。
今を楽しむために。
ただ単に仕事などに追われてパニックになるのとはまったく違い、このパニック発作は一生のうち、100人に5人くらいの割合で経験すると言う。例えば、育児に追われた日々を送る母親、夜勤明けで申し送りをしなければならないナース、また、オペの直接介助を任せられたナースなどが突然息苦しくなったり動機がしたり声が出なくなったり強い不安が襲って来る。もう、それは死んでしまうのではないかと思うどの恐怖と共に。
もちろん、人それぞれで、日常ちょっとしたことで起こすケースも多い。ただ、はっきりしていることは、いずれも、その人の心に耐えがたい負荷がかかっているときに起こるということ。
私の友人も上記の症状と共に、手足のしびれが出現して立っていられないほどの発作を繰り返した。
このしびれは、発作を起こしたときにあせって呼吸が荒くなり、酸素をいっぱい吸ってしまうということが原因でもある。血液中の酸素が増えすぎると”過喚気”と呼ばれる苦しい症状になってしまうわけだ。
酸素は普段人の体に必要なものなので、ピンチに立たされたときほど、人はたくさん吸い込んで力を付けようとするのかも知れない。
いつも思うのだが、要するにこの手の発作を起こす人というのは、
”この状況を何とかしよう。”と思っている人なのだった。
つまりは
”生きよう、生きよう。”としているわけだ。
心に何の負荷もかからない怠惰な生活をしている人はたくさんいるというのに。それも個人の自由ではあるけど、そんな人たちに限って精神的に疾患を持っている人たちのことを偏見で満ちたまなざしで見る。
昔の私もそうだったかも知れない。
一方で、いつもまじめで、てんぱっている人。パニック発作を起こすような方々に限って、日常をうまく楽に過せない自分を恥じたりもする。責めて、責めて、責めまくる。
それは間違っている。
あなたはとてもがんばっている。だからたまには力を抜いて休憩していいんです。本気でギブアップしていいんですよ。
そう言いたい。
余談ですが、私は若かりしころ、時々仲間と集まってバイクのレースをした。たった400メートルを競い合うというレースだったが、ひどく負けず嫌いで、2位になるくらいなら1位の人のバイクの後ろにでも突っ込んで大破してもいいくらいに思っていた。
でも、それを話すと友人は笑ってた。
馬鹿だね。レースは次もあるのに。と。
あ、そうだ。私は多分レースよりも、時々こうやってみんなで集まって騒ぐのが楽しかったのだし、早く走りたいのも、もしかしたら好きな仲間に認められたいだけだったのかも知れないと、そのとき思った。
楽しまなければ意味がない。
急ぐ必要はない。
先に到着した仲間を賞賛しながら飲むビールもおいしかった。
人生はそんな夢のように楽しいレースのようなものかも知れない。
話しがうまくまとめられませんが、どうか、自分を責めないで。
あなたは素晴らしいガッツを持っている。だから、休むという勇気ももって欲しいのです。
今を楽しむために。
鬼を見た日。
2001年3月1日私は主に外科の看護婦。
でも、HPをはじめてからの興味の方向性は精神科、心療内科系に向かっている。
ネットをする時間さえあれば連日、精神科医、カウンセラー、またその患者となる立場にあたる人たちとメール交換をしているような気がする。
”どうしてそんなにくわしいのですか?何故、心理系に関心を持つのですか?”と訊かれて改めて思った。
私自身にすべての精神科的疾患の要素が多いにあると思うからだ。
以前、知り合いのドクター、それも何人かにそれを打明けた。治療をしたほうがいいんじゃないか、と相談を持ちかけたがテストにはひっかからなかった。
そんなはずないだろう、よく診てくれと言ったが
”どこも何ともないってば。”と言われる。
ああ、そうか。じゃあ、境界型の人格障害とかは?”と訊くと
”おい。ひつこいぞ。第一おまえが患者になっちゃったら俺はこれからいったい、だーーりに相談すればいいの。”と彼。
”どうしようもなく行き詰まると窓から飛び降りたくなる。そんなときには、いつかのように怒鳴りつけて気合を入れてもらいたいんだ。”と彼は言う。
あり。。。先生も相当来てますね。(−−;)
心の中に一匹の鬼がいる。
その鬼は恐ろしく自己中心的で、わがまま。
どんなに周囲の人が心を砕いてくれても、
思いやりをもって応援してくれても、
その鬼が現われるとすべてのことがマイナス思考に突っ走る。
人は自分自身を律するのが精一杯。
そんな中でも、出きる限りの思いやりを持って、他人のピンチには励ましてくれる。そんな優しい人のありがたい心を鬼は食い殺してしまう。
家事や仕事に疲れたときにもその鬼は現われて私の中で牙を剥いている。
鬼め!と、
よく、その鬼を退治しようとした。
しかしある日、その鬼は私の一部に他ならないことに気がつく。
何だ、鬼は私だったのか。
それなら退治するのではなくて、語りかけてみよう。
鬼よ、鬼。
おまえが鬼になってしまった理由は何だったの?と。
退治しようと思っていた鬼はたちまちおとなしくなり、いろんなことを語り出した。
あのとき、実は我慢をしていたんだ。あのときも実はつらかったんだ、と。
鬼とは、自分の中で見捨ててきた自分の姿だった。
自分自身にも見捨てられてしまった感情の悲しい化身だったのだ。
私に病名がつかなかったということは、あらゆる人の心の中にも、鬼が住みつく可能性がある。そうは思いませんか。
誰にでもありうることと。
自分を大事にしなかったり、自分自身に嘘をつく日々を送っているともしかしたら鬼は暴れ出すのかも知れません。
追伸:心理関係の方々、これからも、さらに共に考えさせていただけたら幸いに思います。どうぞよろしくです。
でも、HPをはじめてからの興味の方向性は精神科、心療内科系に向かっている。
ネットをする時間さえあれば連日、精神科医、カウンセラー、またその患者となる立場にあたる人たちとメール交換をしているような気がする。
”どうしてそんなにくわしいのですか?何故、心理系に関心を持つのですか?”と訊かれて改めて思った。
私自身にすべての精神科的疾患の要素が多いにあると思うからだ。
以前、知り合いのドクター、それも何人かにそれを打明けた。治療をしたほうがいいんじゃないか、と相談を持ちかけたがテストにはひっかからなかった。
そんなはずないだろう、よく診てくれと言ったが
”どこも何ともないってば。”と言われる。
ああ、そうか。じゃあ、境界型の人格障害とかは?”と訊くと
”おい。ひつこいぞ。第一おまえが患者になっちゃったら俺はこれからいったい、だーーりに相談すればいいの。”と彼。
”どうしようもなく行き詰まると窓から飛び降りたくなる。そんなときには、いつかのように怒鳴りつけて気合を入れてもらいたいんだ。”と彼は言う。
あり。。。先生も相当来てますね。(−−;)
心の中に一匹の鬼がいる。
その鬼は恐ろしく自己中心的で、わがまま。
どんなに周囲の人が心を砕いてくれても、
思いやりをもって応援してくれても、
その鬼が現われるとすべてのことがマイナス思考に突っ走る。
人は自分自身を律するのが精一杯。
そんな中でも、出きる限りの思いやりを持って、他人のピンチには励ましてくれる。そんな優しい人のありがたい心を鬼は食い殺してしまう。
家事や仕事に疲れたときにもその鬼は現われて私の中で牙を剥いている。
鬼め!と、
よく、その鬼を退治しようとした。
しかしある日、その鬼は私の一部に他ならないことに気がつく。
何だ、鬼は私だったのか。
それなら退治するのではなくて、語りかけてみよう。
鬼よ、鬼。
おまえが鬼になってしまった理由は何だったの?と。
退治しようと思っていた鬼はたちまちおとなしくなり、いろんなことを語り出した。
あのとき、実は我慢をしていたんだ。あのときも実はつらかったんだ、と。
鬼とは、自分の中で見捨ててきた自分の姿だった。
自分自身にも見捨てられてしまった感情の悲しい化身だったのだ。
私に病名がつかなかったということは、あらゆる人の心の中にも、鬼が住みつく可能性がある。そうは思いませんか。
誰にでもありうることと。
自分を大事にしなかったり、自分自身に嘘をつく日々を送っているともしかしたら鬼は暴れ出すのかも知れません。
追伸:心理関係の方々、これからも、さらに共に考えさせていただけたら幸いに思います。どうぞよろしくです。